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高知簡易裁判所 昭和22年(刑)157号 判決 1959年10月02日

被告人 増川鎮洛

当三七年 漁業

決  定

(被告人の氏名略)

右の者に対する、物価統制令違反被告事件につき、検察官志保田実は公訴の取消をしたので、当裁判所は、次のように決定する。

主文

本件公訴の取消による裁判の申立を却下する。

理由

第一、本件公訴取消の理由

本件公訴の取消は、昭和三十四年九月八日別紙のとおりの理由によりなされたものである。

第二、当裁判所の判断

そこで、本件公訴の取消について、当裁判所は職権を以て審按するに、一件記録を査閲してみて明らかであるように、本件公訴は昭和二十二年六月三十日略式命令の請求による提起にかかり、当裁判所は旧法(大一一・五・五法律七五――改正大一五、法律七二。昭和一〇、法律四三。昭和一二、法律七一。昭和二二、法律一九五をいう、以下同じ)第五二三条に則り、昭和二十二年十二月六日略式命令を発し、これに対し昭和二十三年一月二十二日被告人は正式裁判の申立をしたものであることが明白である。

そして、正式裁判は本件被告人については、同人が引続き所在不明であるため、未だ開廷にいたらないものであり、それで、右略式命令は失効していないものであることも明らかである。

ところが、旧法第二九二条によると、公訴の取消は「予審終結決定又ハ第一審ノ判決アル迄」になすことを得るものであつて、上記本件略式命令による裁判は、右法条にいわゆる「第一審の判決」に該当するものと解するのを相当とする。(尤も、新法すなわち現行刑事訴訟法第二五七条の公訴取消は、後説のように、旧法上の公訴取消、すなわち実体的刑罰権の抛棄とは異り、同法第三四〇条の再起訴が認められるところから、形式的公訴権の放棄と解されるので、旧法に基ずくような厳格な解釈は必要としないわけで、=曾我部正実、刑事法講座六巻刑事訴訟法。柏木千秋、略式手続一三四六頁。青柳文雄、全訂刑事訴訟法通論下巻六四六頁などが、略式命令がなされてから後でも公訴の取消ができるものとしている次第であるが、これらの学説をもとより旧法上の公訴取消にその儘援用することは、まさしく謬論たるを免れないのである。)

それで、右略式命令の発せられた後であることの明らかな昭和三十四年九月八日においては、事件が公判に係属中であり、たとえ確定前であつても、正式裁判の確定するに至るまで、右略式命令は有効に存する(大判大一四・四・四)ので、公訴を取消すことは、できないものと解しなければならない。(昭和二年九月九日刑事局長回答。昭和七年十二月十六日法曹会決議。昭和二十八年三月十六日最高裁内簡回答参照)

というのは、当裁判所は以下のように、思料する次第だからである。すなわち、第一審判決(宣告の意)後に公訴の取消を許さないところの法意は、けだし、これを許すときは、検察官の処分によつて、有効に存する裁判所の裁判を左右する結果となり、行政権が司法権の独立を侵すに至るからである。その点、略式命令も判決と全く同様であること、いささかも疑念をさしはさむ余地がない。(わが法規には、米連邦刑訴規則第四八条のように被告人の同意がなければ、公訴取消書を提出できない旨の明文はないけれども、本件略式命令に対し正式裁判の申立をしたのは被告人であつて、憲法第三二条、第三七条などの法意からしても、恣意的解釈を許容する余地なく、裁判後に法規に違反した専断な公訴取消は許されないものというべく、もとより本件略式命令が憲法第七六条の司法権行使に基く合憲な裁判であることも明らかである=最判昭二三・七・二九)

してみると、右取消は法律上何ら効力がないものといわなければならない。すなわち、本件公訴の取消によつて、上記本件略式命令の効力はいささかも左右されず、また本件正式裁判の進行に何ら妨げとならないものと解すべきである。

さて、思うに、「公訴の取消」は起訴変更主義に則るものだが、いわば「公訴提起後における不起訴処分」であつて、いわゆる訴訟法上認められる起訴便宜主義の当然の反面であり、その論理的帰結とみねばならない。そして、旧法のもとでは、公訴の取消は可能的に存する実体法上の刑罰権の放棄を意味する。だから、実体的公訴棄却の裁判にほかならないとの学説もあるのである(宮本博士大綱一七五頁)。(尤も、現行法では、一度公訴を取消しても、一定の条件下に再起訴を認めた(三四〇条)ので、公訴取消は、字義とおりに、「訴訟の取下」であり、形式的訴訟条件を欠くことを理由とする形式的裁判に変質したのである)

したがつて、適法に公訴が取消されたときは、もとより実体審理に入ることはできず、公訴棄却の決定という形式裁判がなされねばならず、もしこれを不法になさないときは、控訴審で公判期日を開かずに直ちに公訴棄却の決定をしなければならないし、同時にこの決定により原判決は失効するので、この決定には即時抗告に代わる異議申立もすることができるのである。そうすると、公訴の取消は右形式裁判をなすべきことを請求する直接的訴訟行為ではなくても、そのような裁判権の発動に不可欠の前提をなす間接的訴訟行為たる実質を具有するものとみ得べく、換言すれば畢竟公訴提起という訴訟行為に附加された法律効果(訴訟係属)を解消させる一聯の行為の訴訟法上の概念にほかならないのである。

ところで、本件公訴の取消は、その理由に徴し明らかなように、同時にそれは、上述の推論からして、旧法第三六五条第一号により、公訴棄却の決定(この裁判の本質は、公訴権の不存在を理由に、以後の実体に対し追行を禁ずる裁判)を求める申立を含むものと解せられるところ、結局本件公訴の取消はないことに理論上帰するから、そのような申立は理由がないので、却下を免れない。

(上述のように、公訴取消の場合、本来は、請求にもとづく裁判ではなく、実体的公訴権不存在のいわば中間的形式裁判たるの性質を有するものであること明らかであるが、公訴取消が事実上はそのような裁判権の発動を促す前提処分であることも自明であるから、必ずしも、法はこの場合にまで拒否の裁判を義務づけてはいないけれども、少くとも純理上は裁判が期待されている以上、何らかの裁判所の意思を表示するのが相当であるところ、当裁判所は「本件公訴の取消による裁判はしない」旨の宣言的決定をするよりも、このような決定をすることにした次第である。)

よつて、刑事訴訟法施行法第二条に拠り、旧法第二九二条を準用の上、同法第四八条第二項に則り、主文のとおり決定する。

(裁判官 井上和夫)

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